一周回って、「好きな事をやるのが良い」社会になってきた。
昨晩は大学院の友人達と新年会でした。久々に会う面々と色々な話をしましたが、その中で「ああ、他の人も同じように感じていたんだなぁ」と確認できた事があったので、エントリにしておきます。
それは、結局「好きな事をやるのが良い」社会になってきた、ということです。少なくとも、日本では。
といっても、「楽しければいーじゃん」と、その日その日の楽しみだけを追求する刹那的な生き方が良いという訳ではありません。
経済の急激な成長は今の日本では望めず、経済成長を前提とした仕組みは改善を迫られています。そして正直言って、「変化が必要」という事は分かりますが、「最終的にどういう変化に落ち着くのか」という事は分かりません。
しかし少なくとも、我慢した先に良い事が待っている、とは決して言いがたい状況になってきたと思います。「安定した生活のために」と入った大企業が、数年後には倒産するかもしれません。研究者の世界で、ずっと辛抱強く業績を重ねてとうとう常勤の教員になったとしても、勤務している大学が再編されて無くなってしまうかもしれません。今のシステムが続くと思って将来のために「我慢」をしても、そのシステムそのものが無くなってしまう可能性が高い状況なのです。
そういった諸々の可能性を考えると、一周回って「やりたい事をやるのが良い」と思えるのです。
やりたい仕事があるなら、それをやる。
やりたい研究があるなら、(ポストに関わらず)その研究をする。
これからの(日本)社会で幸せにやっていくには、自分がやりたいと思えるものを発見し、それをやるために全力を尽くす事が、今までよりもずっと大事になっていくのではないか、と思います。
なぜ自分が採用されたか、自分では決して分からない
「現在の就活は、落ちた理由がフィードバックされず、改善しようが無くて辛い」という発言はよくあって、確かにその通りだと思います。
一方、「受かった理由も(多くの場合は)フィードバックされない」という事実は、なかなか触れられないように思います。
「就活体験記」は、就活をする人にとってみれば、貴重な情報源になり得るものです。
が、就職活動を終えた本人が語る事ができるのは、
「採用される方法」
ではなく、
「因果関係は良く分からないけれど、採用された自分が採用される前にやっていた事」
のみです。
「あなたと一緒に働きたいと思っているのですが」
と言って頂けるのは有り難い事ですが、
「なぜですか?」
と問いかける事も必要だなぁ、と思います。
自分の中に基準をつくる
仕事や日常の買い物・人間関係など様々な場面で、私たちは「選ぶ」必要に迫られます。
しかし、自分の中に「基準」を持たない人は、本当の意味で「選ぶ」事は出来ないのではと思います。
誰しも最良の選択をしたいとは考えますが、何が自分にとっての最良であるか理解している人は少ないのではないでしょうか。
自分が望むもの、選択によって最低限満たしたいもの、そういう基準を自分の中に持っていなければ「選ぶ」ことは出来ません。
「心を整える」系の自己啓発本を意識的に読んでいる。
私と付き合いの長い友人は良く知っていると思いますが、私は基本的に短気で攻撃的な人間です。
この点において、母親との血の繋がりを感じずにはいられません(私の母はヒステリックな性質が強く、心の平安とは対局にいる人です)。
しかし一方で、短気で攻撃的な人間に悩まされた経験も、人一倍あるように思います(類が友を呼んでいるのか?)。
母だけでなく、特に自分より立場が上の人がそういう人格だった時、非常に強い精神的ストレスを感じてきました。
いつしか、私は「心を整える」系の自己啓発本の類をよく読むようになりました。
これまで出会った短気な人々を反面教師に、自分の心を制御して、他人に対して優しくなりたいと思いました。
そしてその結果として、自分の心を穏やかにしたい、と考えました。
いろいろと試してきましたが、実感として、意識して努力すれば性格は改善すると思います。
身近な人達からは「お前、まだ全然なってないよ」というお叱りがありそうですが。とはいえ、過去の自分より改善されている、と実感できることがたまにあります。
こつこつと、しなやかで強い心に鍛え上げていきたいものです。
人と繋がることの障壁を下げるサービスに思う
人と繋がる手助けをするサービスが増えているようです。
気になる人をチェックしておいて、両思いだったら知らせてくれるサービスや、「フォローしている誰かとお茶したがってる人がいます」的なツイートのサービスとか。
非常に面白いサービスだとは思うのですが、正直、見る度に思うのです。
皆、そこまでして傷つきたく無いのか、と。
こういうサービスの恩恵にどっぷりつかった結果、自らの意思と言葉で人と繋がる、という事が出来なくなったりしないのかなぁと。
傷つく可能性があったとしても、その恐怖を自分の中で消化し、恐る恐る一歩を踏み出す訓練をした方が良いのではないか。
そんな風に自分は思っています。
はてなブログ、始めてみました。
「使ってみたいなぁ」とつぶやいたら、幸運にも招待して頂いたので、早速はじめてみます。
Twitterに書くほど短く無い、けれど表ブログに載せたいと思えるほどしっかりとした考えじゃない、そんな中途半端なエントリを載せてみたいと思います(いつまでこの方針でいくかは未定ですし、すぐ飽きるかもしれませんが)。